知らなかった3年

私の会社で1人だけ頻繁に連絡を取り合う人がいる。職場が違うので、電話やラインでの話がいつもだ。

仕事の話が1番多いが、人には話さない様な私生活の話もできる相手だ。


昨日、失くした家族(犬、猫)の話になった。

私よりずいぶん前に、とらちゃん(猫)を

病気で見送っている。哀しみと辛さの中にいるその人に、犬や猫を家族として愛している

者として、気持ちがわかる(わかっているつもりでいた)


どんなにやったとしても後悔はする。

できる事は精一杯やってあげたと思うよ。

とらちゃんは感謝してると思う。

あの時は自分の中で精一杯かけた言葉だった


いつもそばにいる大好きな子が、もし死んだら、辛いに決まっている。それはただの

想像だけの言葉だ。


今、こんなに大好きで愛してるメルモを

失くしてわかる。


何を言われても、耳に入らない。


痛い、苦しいと話せない小さな姿の

命の全部を、飼い主である自分に全て預けて

ただ一生懸命生きてきたんだ。


私はそれを本当にわかっていただろうか?

考えるほど、後悔ばかり次々に浮かぶ。


悲しい、辛い、そんな言葉じゃない


心が粉砕しそう


メルモが居ないと思うと全身の血が吹き出て

いくような思い


泣きすぎて体の方が最初に枯れるかも

枯れて朽ちる方がまだ楽か?


メルモが居ないという記憶だけなくなって

くれたらいいのに。


頭の中の消しゴムって映画のように


こんな事ばかり毎日思って生きている

心は半分? ほぼ?病んでるのかな💦


でも外に出ればメルの話はしない。こんな

ドン引きしそうな話、できないし、逆に

話されても困ると思う。

だから、仕事に行けば雑談もするし笑いも

する。


家に帰れば、心おきなく病み人 ( ̄▽ ̄;)


とらちゃんが居なくなって、時が過ぎ

すっかり元気になったと思っていたのは

何も知らなかっただけ。


今でもあの頃のあの子が蘇るときは

骨壷を抱きしめて泣き、捨てられずにいる

オモチャやブランケット、使いさしの砂

溜まりに溜まった宝箱を開けてみては

主の不在に何度も何度もうちひしがれる


そんな風にこの3年を生きていた。


この日、そんな話を聞いていて、互いに

うん、うん、そうだね。と言うだけ。


どんなに自分を責めている言葉でも、後悔

ばかりの言葉でも、[うん そうだね] としか

言葉にならない。 


うん、そうだ、あなたが悪い!と言っている

んじゃない。


あんなに愛していたからこそ、大切だった

からこそ、居なくなってしまった理由まで

追求してしまうのだと思う。


思いがなければ忘れ去り、哀しみもない。


自分を責めている言葉も、後悔の言葉も

積年の愛の証しだ。


その愛の証しの思いに、[うん、そうだね]

そううなずく以外できる事はない。



今日は遅くなったから、メルモのことは

次に書くね!